日本語と日常、ときどき思索沼にずぶずぶと

日本語教師の、母親の、一個人の頭の中を綴ります

アップデート

あ今朝のニュースで、地球温暖化のせいでフランスがもう葡萄の生産に適した気候ではなくなってきて、ワインの質が落ちているという内容を目にしました。そのニュース内では、フランスのワイン会社が次なる高級ワインの産地として北海道に目を付けているといった運びでした。これはもう何年も前から言われていたことのようですが、そうなると、今までの通説であった「よいワインの産地」が、ガラリと変わってくることになります。ワイン業界の常識も、どんどん変わっていくのでしょう。

 

先日、ニキビに悩む娘が皮膚科へ連れて行けというので、日曜診療のクリニックを見つけて行ってきました。「今日はどうして来ましたか?」の医師の問いに「ニキビです」と問いかけたら、なんと。

鼻で笑われました。

「家で様子見たほうがいいんじゃない?何も処方するもの、無いけど」

あれ、最近はポスターとかでニキビは皮膚科へ!って書いてるのに。なんなんこの人。と、不信感いっぱいで二度とこねーぞと誓いましたが、時すでにお寿司。絶賛大人大嫌い中の娘の大人不信度はさらに高まり、もう皮膚科いかない!とキレまくり。そもそもは小5くらいの時、極端に怖がりの娘が某小児科でインフルエンザの検査にビビッて抵抗したとき、「もう子供じゃないんだからそれくらい我慢して」と医者に叱られて以来、娘は大の医者嫌いになってしまいました。「子供だから小児科来てやってんのにその患者に向かって”子供じゃない”とか、あいつ何様??」と、至極ごもっともな怒りをぶちまけるので、彼女の通院先選びはことのほか気を遣います。

件のクリニックは、皮膚科だけでなく内科小児科も標榜するタイプの診療所でしたので、次はきちんと皮膚専門医に行こうと心に決めましたが、そうなると付き添いできる時間の専門医を探せってことで18時が定時の私には、いろいろ厳しい。溜息。

 

仕事では、今、「みんなの日本語」ではない教科書を導入する動きでカリキュラムの組み立てが進んでいますが、これも中々難しい。それだけ「みんなの日本語」の完成度が高い総合教科書ということになります。が、私が一番問題視しているのが、ここ近年でベトナムからの留学生は既に母国で「みんなの日本語」を使用して学習してきているという点です。たしかに、母国でのやっつけ授業も多いことを考えると、いくら資料上はこの教科書を使い終わったとしてもそれだけの日本語は身についていないのは明らかです。だから、彼らは日本へ来てまた同じ教科書をすることになるのですが、当然モチベーションは下がります。そりゃそうだ。私だってえええ、またこれかよ…ってなっちゃいますもの。ただ、脱みん日を告げると、拒否反応が多いのに驚かされました。私はいわゆる「日本語学校」での指導歴が無く、今の学校が初の告示校です。これまでは小中学校の取り出し授業や技能実習生への指導ばかりでしたから、みんなの日本語とはそこまで密接にかかわっていませんでした。ですが、日本語教師の中にはみんなの日本語支持者が多く、離れることに不安を抱く意見が多いのにとても驚きました。

現在、日本語教育の層も質も多様化するなか、「これしかない」を作るととても危険だなあと思います。そこで、手探りながらも「みん日離れ」をしていこうかと考えています。もちろん、全部使わない!とかではなく、文型練習帳とか標準問題集は適宜使いながら、時間割を工夫していかなきゃと思っているところです。

 

以上の話に共通するのが「アップデート」ということ。これ、便利なことばで気に入ってます。時代や状況の変化に合わせて自分も変わっていかないと、固執する事で損失することが多いと思うのです。ワインの産地だって変わっちゃう。あの医師は、ニキビは受診するものという意識が世間に広まっていることを知っておくべきだった。そして日本語教育も、今後告示校が減っていくであろう中で、新しい層に合った指導書・指導法を考えていくべきであること。

そんなことを、朝のニュースを見てからつらつらと考えていました。