日本語と日常、ときどき思索沼にずぶずぶと

日本語教師の、母親の、一個人の頭の中を綴ります

教師再デビュー

いろいろあって、7年ぶりの教壇へ。現時点で3クラス担当したけれど、久しぶりの授業はとにかく「面白い!!」に尽きました。

月曜の授業では、台風直後ということもあって「天気の日本語・電車の日本語」を導入。通常ではみんなの日本語23課の初級1後半のクラスでしたが、「遅延」「在来線」「私鉄」「運休」や「台風」「大型・中型・並み・小型」や「(○○)情報」といった用語について自作プリントを用意して解説、次の台風の機会に備えたいなと行いました。一つのクラスを複数の先生方とチームのようにやっていきますが、私の突然のイレギュラーな申し出にも快く応じてくれた担任の先生に感謝!

火曜の授業では、「切手のないおくりもの」の歌詞解説と歌唱指導(笑)をやってみました。一番の歌詞だけは手話までつけたりして。他にも「イケメン・フツメン・ブサメン」の言葉と共に昔懐かしいキムタク&フット岩尾のギャッツビーCMを見せたりして、にぎやかに進められました。他にも早口言葉を紹介。「バスガス爆発」や「少女シャンソン歌手新春シャンソンショー」は大いに盛り上がり、予定のプリントも消化出来てなんとか終了。

 

こうして書いてみると、私って殆ど「お勉強」的なことをやっていない…。ディクテーションのミスがある単語や活用がダメダメな語があったりとか、気になった点はきちんと申し送りしましたが、歌なんか歌ってる暇があったらもうちょっと文法指導をすればよかったかなとか反省してみたり。

あるクラスで、プリントを解いている生徒たちを見ながら、ああ私ってとうとう日本語教師に戻ってきたんだ…という感激で、つい涙が込み上げてしまいました。が、それを生徒に見つかって大騒ぎ!「先生、どうしましたか!」とみんなオロオロ。

そこでやむなく、自分が311で日本語教師の職を失ったこと、それを機に教科書や道具を色々捨ててしまったこと、でも7年たって我慢ができなくて転職活動を始めてやっとここに勤務できたこと。をぼそぼそと語りました。

 

みんな、想う事があったようで、静かに話を聞いてくれました。

年頃は20代前半のベトナムミャンマー、中国、モンゴルといった出身の生徒さんたち。親御さんと同じくらいの年頃であろう私としては、若干恥ずかしくもあったけれど、みんな苦労をして海外で生活している努力家ばかり。人と人としての付き合いとして、自分を率直に話そうと決めました。

 

これからまだまだ手探りのクラス授業ですが、同僚の先生方のご指導に頼りつつ、割と明るい気持ちでがんばろうという気になれました。

 

 

 


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