日本語と日常、ときどき思索沼にずぶずぶと

日本語教師の、母親の、一個人の頭の中を綴ります

書いて!書いて!書いて!!

かなり、間が空きました。

自分は、思うままに文を綴るのが大好きで、でもそれを止めていた時期が長くあります。

先日、人前で久々にスピーチをする機会がありましたが、自分がどれほど下手っぴになっていたか思い知らされ、凹みました。

ま、その日居並ぶご来賓は政治家や長の方中心でしたので、皆さん演説がお上手。

こうした機会も、やはり慣れとトレーニングなのだなと思い知らされました。

市長のお言葉は特に素晴らしかった。

返って、我が身を思うと。

ああ、自分は書き言葉での表現が一番しっくりくるなあと久々にその思いを強くしました。

演劇部で、自分の気持ちを台詞に乗せたり、ラジオの取材で与えられたテーマについて掘り下げて話すとかはしたけど、フリートークって、本当に難しい。

日本語の授業中、学生に対しての世間話は、割とナチュラルに話せてると思うんです。

台本も無いし、その場の思いつきだったとしても。

それは、話す内容がその時授業で扱っていた内容についての派生だから、また戻ってくる場所が明確であるので、「脱線」からもすんなり戻れます。

でも、ざっくりとフリートークをした時、私はどんどん思いが流れて飛躍してまた戻り、本当に支離滅裂になってしまうのです。

そんな時にブログなりで文章を綴ると、いやまてよ、とストッパーを掛けたり修正することができます。書く事で自分の記憶と思考を整理し、余計なものをそぎ落としていく。私はブログを書くとき、タイトルを決めずに書いて、書きあがった最後にタイトルを決める場合が多いです。最初にタイトルを決めることで、自分の思考の広がりを止めたくないからです。タイトルから先に書く場合は、よっぽどそのことについて書くぞ!って時だけ。

ああ、また何を書きたいかが分からなくなってきましたが。

そんな訳でまたぽつぽつと、綴っていこうかと思います。

押さえつけられていた自分を解放するために。息をするように書いていたい。

目的は自己を掘り下げるための文章でも、せっかくなら世界の隅っこでひっそり公開して、あわよくば、誰かの心を掠めてみたい。

そんな、ちょっとした、決意文です。

これからは、もうちょっと、まとまりのある文章を綴っていきたいです。